子どもを守る「景色」に着目。誘拐を防ぐ新しい視点

「いってきまーす!」元気な声で小さな背中が玄関を飛び出していく。ランドセルの揺れが角を曲がって見えなくなるまで、心の中で「気をつけてね」と祈りながら見送る数秒間。ありふれた日常の景色であると同時に、かすかな不安が胸をよぎる瞬間ではないでしょうか。

私はかつて刑事課に勤務していたとき、初動捜査班に属し、さまざまな事件現場の最前線に立ってきました。そして今は、子どもを育てる母親でもあります。制服を脱ぎ、母親という立場になった今、かつて現場で目にした「守れたはずの命」への悔しさは、より切実なものとして私の中にあります。

最近、SNSや動画サイトで流れてくる連れ去り未遂の映像や経験談。それを見て「恐ろしい」と人ごとで終わらせないで欲しいと思います。「怪しい人に気をつけて」という、昔ながらの教えだけでは、現代の子どもたちを守りきることはできません。

なぜなら、犯罪者はターゲットとなる「人」を探す前に、まず犯行を「誰にも見られずに完結させられる場所」を、驚くほど冷静に見極めているからです。

今回は、犯人の心理を逆手に取り、街の景色を味方につける方法をお伝えします。難しい専門的な知識はいりません。今日から親子で歩く道が、危険なものから子どもを守る盾になるような内容をお伝えします。

執筆 元警察官 安井かなえ

「マンションは安全」は本当?子どもの誘拐リスクが潜む意外な場所

まず、私たちが抱きがちな「安全神話」を一度取り払うために、2025年7月に千葉県内のマンションで実際に起きた事件を振り返ってみましょう。

小学生の女の子が、お兄ちゃんや友だちと一緒に、マンションの共有スペースで遊んでいました。オートロックがあり、住人以外は入りにくい、いわば「家族の延長線上にあるはずの場所」。そこへ一人の男が近づき、「ちょっとお話しするだけだから」と言葉巧みに女の子の手を引き、マンション内のトイレへ連れ込もうとしました。

幸いにも、異変に気づいたお兄ちゃんが必死にトイレの扉を押さえ、友だちがすぐさま大人を呼びに走ったことで、最悪の事態は免れました。このニュースを聞いて、同じ母親として私は胸が締め付けられる思いがしました。「マンションの敷地内でさえ、安心して遊ばせられないのか」という皆さんの憤りは、痛いほどよくわかります。

犯人が狙ったのは「女の子」ではなく「隔離できる場所」

この事件で、私たちが最も教訓とすべきポイントがあります。それは、犯人がその女の子を最初から「この子だ」と特定して狙っていたわけではなく、「誰にも邪魔されずに密室へ連れ込める場所(トイレ)がすぐそばにある環境」を狙っていた、という点です。

マンションの共有スペースという閉ざされた空間は、一度侵入してしまえば、外を歩く不特定多数の通行人の目は届かなくなります。犯人は、この「見えにくさ」と、住民を装えば誰でも入れる「入りやすさ」が揃った場所を、冷静に犯行の舞台に選んだのです。

「ここは安全だ」という私たちの信頼が、犯人の目には「誰も見ていない、絶好の隙」に映ってしまう。この視点のズレを、私たちは深く理解しておく必要があります。

2004年、奈良市の事件が教えてくれる「場所選び」の執念

もう一つ、過去の痛ましい事件から学べる重要な知恵があります。2004年に奈良市で起きた、当時社会に大きな衝撃を与えた事件です。犯人は言葉巧みに女の子を車に乗せ、自分のマンションへと連れ込みました。

元警察官なりにこの事件を分析すると、犯人の執拗なまでの下見の実態に戦慄を覚えます。実は犯人は当日、まず別の地域で獲物を探していました。しかし、そこでは納得のいく隙が見つからず、わざわざ別の街へと移動して、自分の思い通りの条件が揃う場所を探し回っていたのです。

つまり、犯行は決して衝動的なものではなく、極めて冷静に「ここなら絶対に成功する」という場所を選別した計画的な犯行なのです。

犯罪者が「獲物」を待つ景色に共通するサイン

彼らが探し回っていた場所には、共通する特徴があります。一言で言えば、誰でも入りやすくて、誰からも見えにくい場所。具体的には、以下のような特徴があります。

・物理的な連れ去りやすさ

ガードレールがない直線道路は、車を瞬時に寄せて、数秒で子どもを車内へ引き込めます。さらに近くに大きな幹線道路があれば、警察が緊急配備を敷く前に姿を消すことが可能です。

・心理的な「無関心」のサイン

壁に落書きが放置されていたり、ゴミが散乱したままになっていたりする場所。これは「この場所を誰も気にかけていない、管理されていない」という強力なサインになり、犯人に「ここなら誰にも声をかけられない」という安心感を与えてしまいます。

・助けを呼ぶ声をかき消す騒音

電車の高架下や、幹線道路沿い、常に大きな音がしている工事現場の周辺などは、子どもの叫び声や異変を告げる音や防犯ブザーの音までもかき消されてしまうため、犯人にとっては絶好の「隙」となります。

こうした条件が重なる場所は、決して特別な場所ではなく、私たちの身近な景色の中に存在しています。

景色を「防犯の目」で読み解く、母としての2つのモノサシ

通り魔や変質者の顔を、事前に知ることは不可能です。しかし、「犯罪が起きやすい場所」を見分けることは、今この瞬間からでもできます。ポイントは、「入りやすさ」と「見えにくさ」。お子さんと通学路を歩くとき、次の2つの指標を「母の目」で意識してみてください。

1.「入りやすさ」をチェックする

犯人が最も恐れているのは「自分が逃げられなくなること」です。だからこそ、不特定多数が自由に出入りでき、かつ周囲に溶け込める場所には注意が必要です。

例えば、大型スーパーの駐輪場の奥、工事現場の囲いの裏、マンションの非常階段。これらは物理的に入りやすいだけでなく、「見慣れない人がいても誰も気に留めない」という、心理的な入りやすさも備えています。「知らない大人がいてもおかしくない場所」こそ、私たちの警戒レベルを一段階上げるべきポイントです。

2.「見えにくさ」をチェックする

「人通りがあるから大丈夫」という考えは、少し横に置いておきましょう。本当の安全は、人の数ではなく「視線の質」で決まります。

全員がスマホを見て下を向いて歩いている駅前の通りと、たとえ通行人は少なくても、地域の方が庭仕事をしたり、窓を開けて掃除をしたりしている路地。どちらが犯人にとって「怖い景色」でしょうか。答えは後者です。「誰かに見られているかもしれない」「何かあればすぐに声をかけられる」という予感こそが、犯行を思いとどまらせる最大の抑止力になります。

今日から始める、わが子を守るためにできること

知識を得るだけで終わらせず、それをお子さんの「一生の宝物」となる生き抜く知恵に変えていきましょう。

子どもの目線で歩く「防犯散歩」

週末、ぜひお子さんと一緒に通学路を歩いてみてください。このとき最も大切なのは、大人の高い視点からではなく、「腰を低くして、お子さんの目線で街を見ること」です。

たとえば、こんな声かけをしてみましょう。

・「あそこの生垣、大人が隠れられそうだね」

・「この角、少し大きく回ると、曲がった先がよく見えて安心だよ」

こうした具体的な会話を重ねることで、お子さんの脳内には「危険な場所を避けるための地図」が少しずつ描かれていきます。漠然と「気をつけて」と言うよりも、実際の景色とセットで記憶する方が、いざという時に体が自然と動きやすくなります。

「失礼になってもいい」という新しい教え

私たち日本人は、子どもに「大人には礼儀正しく」と教えてきました。それは素晴らしいことですが、命の危険を感じたときは別です。

「大人の言うことに逆らってはいけない」という思い込みが、逃げ出すチャンスを奪ってしまう場面が実はとても多いのです。「嫌だと思ったり、怖いと感じたりしたら、相手が大人でも大きな声を出して逃げていいんだよ。お母さんもお父さんも、それで絶対に怒らないから」と、繰り返し伝えてあげてください。自分の命を守るために「NO」と言う許可を、親がはっきりと与えておくことが、いざという時のブレーキを外してくれます。

地域に「挨拶の種」をまく

これこそが、お金のかからない最強の防犯対策です。あなたが近所の人と挨拶を交わす姿を、お子さんに見せてください。

「こんにちは」だけでなく「いい天気ですね」など、何か一言付け加えるだけで十分なコミュニケーションが取れていると思います。

こうした何気ない言葉のやり取りがある街は、犯罪者にとって「住民がこの場所に強い関心を持っており、監視の目が届いている、非常に逃げにくい場所」に映ります。挨拶は、わが子の安全を守る見えないバリアにもなるのです。

近所で不審な動きを見たら、親がすべき初動対応

もし通学路や公園の近くで、何度も同じ場所をゆっくり走る車や、子どもを遠くからじっと観察している人物を見かけたら、次の行動を迷わず取ってください。不審者は、格好や見た目だけではわからないことが多くあります。一見すると「誰かの保護者」や「通行人」のフリをして観察している可能性も考えられます。

1. 躊躇せず「110番」をする

「思い過ごしかも」と遠慮する必要はありません。警察が現場を確認し、情報を共有することで、その地域のパトロールが即座に強化されます。

2. 学校や地域と「具体的」に共有する

情報を伝えるときは、「変な人がいた」という曖昧な表現ではなく、「〇時頃、××付近で白い軽自動車が停まっていた」「青いジャンパーの男性が立っていた」など、時間・場所・特徴を具体的に伝えましょう。事実ベースの情報は、学校や地域が注意喚起を行う際の重要な判断材料になります。

3. お子さんに「ピンポイント」で教える

子どもに注意を促すときは、「あの看板の前は、しばらく一人で通らないようにしようね」と、場所を具体的に特定して伝えます。範囲を絞ることで、子どもは自分のこととして警戒しやすくなります。


まとめ

・「人」ではなく「景色」で防ぐ

怪しい人を探すのではなく、「入りやすく、見えにくい」場所を避ける感覚を親子で共有する。

・「安心」の中に潜む「隙」を疑う

マンション敷地内や、見慣れた日常の道ほど、誰も見ていない「空白の瞬間」が生まれやすい。

・「挨拶」という最強のバリア

住民同士がつながり、視線が交わされる街は、犯人が最も嫌う「逃げ場のない場所」へと変わる。

防犯とは、子どもに「世界は怖い」と教えることではありません。正しく危険を察知する知恵を授けることで、お子さんがより自由に、のびのびと外の世界を冒険できるようにするための「準備」です。

犯人の顔色をうかがうのではなく、街の中に潜む「隙」を親子で見つける。その共同作業が、何にも代えがたい「一生のお守り」になります。

アバター画像

安井かなえ

元警察官

小学生と幼稚園児までの3人の子どもの肝っ玉母ちゃん。警察庁外国語技能検定北京語上級を持つ。 交番勤務時代に少年の補導や保護者指導を経験後、刑事課の初動捜査班で事件現場に駆けつける刑事を経て、外事課では語学を活かし外国人への取り調べや犯罪捜査などを行う。 現在は、防犯セミナー講師として企業や市民向けに活動中。 好きな音楽はGLAY。

特集記事

CONTACT

会社についての

お問い合わせはこちら